人生で初めて、サッカーの基礎を教わったのは何と大学に入学してからだった。日本中の期待を集めた64年の東京五輪を控える中、デッドマール・クラマーによる指導は原理・原則を理解させ、応用に発展させるというもの。そこにはサッカーに限らず、何事にも活かせる哲学があった。
日本代表が悲願のワールドカップ初出場を飾った1998年から遡ること10年前、代表監督に就任した横山氏は組織変革に乗り出す。低迷していた日本サッカーを変えるべく取ったのはベテランを切り、若手を起用すること。それは世界を見据えた育成の流れを変えることにもつながり、91年のキリンカップサッカー初優勝という成果となって現れた。
「サッカーから学んだことは数え切れない」と語る横山氏。スポーツは社会の縮図であることから、サッカーを考えることは社会を考えることにつながる。「サッカーは自由のもとにこそ生まれる」という信念に基づく環境づくり、子どもたちにスポーツの本質を体現させるために大人が果たさなければならない役割とは?
はじめに
第一章 蹴球大会からいきなり代表へ
ー最終的に残った「サッカー部」を選択する
ールールもまともに知らないGKが、突然全日本へ
ー立教大学、そしてオリンピックへと突き進む
第二章 日本サッカーの祖「デッドマール・クラマー」から学んだこと
ー人生で初めて「サッカー」を教えてもらう
ー「指導者への指導」の重要性
ー若い年代から「本物を見る」重要性
第三章 日本のサッカーが世界で躍進するために必要なこと
ーメキシコオリンピック銅メダルの秘話
ー準備に勝る戦術なし
ー釜本邦茂のような「スペシャルな選手」を育てる
ー常識を捨てる
第四章 日本代表監督として組織を変革した心構え
ーサッカーは自由のもとにこそ生まれる
ーベテランを切り、若手を起用した理由
ー母のリハビリから学んだこと
第五章 三菱重工、勝利の哲学
ー一流監督たちから脈々と引き継ぐ「本質」
ー最短で強くなりたかったら、世界最先端を取り入れよ
ー三菱重工監督として
第六章 日本代表選手に必要な素質
ー秩序を守れる紳士らしさが必要
ー冒険のあとにしか成功しない
ー代表選手の受ける批判は「期待」の裏返し
ーGKに必要な要素
第七章 スポーツを考える
ースポーツマンシップとは何か
ー未来ある子どもたちにしてあげられること
ースポーツの本質とは
おわりに
横山謙三(よこやまけんぞう)
所属クラブ
1959年 - 1961年 埼玉県立川口高等学校
1962年 - 1965年 立教大学
1966年 - 1977年 三菱重工業
指導歴
1976年 - 1983年 三菱重工業:監督
1988年 - 1991年 日本代表:監督
1992年 U-23日本代表:総監督
1994年 浦和レッドダイヤモンズ:監督
1995年 - 2001年 浦和レッドダイヤモンズ:ゼネラルマネージャー
2000年10月 - 12月 浦和レッドダイヤモンズ:総監督
2002年 - 2006年6月 浦和レッドダイヤモンズ:常務取締役、取締役
埼玉県サッカー協会:専務理事