高校のサッカーの歴史を変えた
「ゼロ」からたった「4年」で全国出場へ

創部されたサッカー部を任され、「ゼロ」から愛知県強豪校として名をはせるまでに成長させた鶴田道弘氏。創部前までは共学ではなく、サッカー部もなかったという。恩師に導かれ、東海学園高校サッカー部監督となったが、創設初年度の入部した選手の半数が素人。初めての公式戦は0-16の惨敗。そんな東海学園高校サッカー部が全国大会出場、強豪校にまで導いた指導法とは?

若き日の苦悩

愛知県の強豪校、東海学園高校の監督である鶴田氏はトヨタ自動車工業サッカー部でプロサッカー選手としてデビューした。初年度の出場数は通算21試合。その後、名古屋グランパスエイト、ヴィッセル神戸へ渡り歩いた経歴を持つ。一見順風満帆だとも思われるが、プロの世界はそう甘くはない。並外れた同じチームの選手達との差を目の当たりにし、戦力外通告を経て感じたプロの壁。グランパスユースのコーチ、ヴァンフォーレ甲府のフィジカルコーチとなり、学んだ指導法とは?若き日の鶴田氏が泥臭く走りぬいた苦しい時代とそこで得た知識と経験が語られている。

これは元プロサッカー選手だからこそ
教えられるマネジメント術である

普通の高校監督では決して教えられない方法である。自らプロサッカー選手になれた努力の重みとプロ生活の厳しい試練。そして、コーチとして。その経験があったからこそ、ただ上手い選手ではない、人として成長できる選手を育てることができた方法論。さらに、プロとして生き残っていく厳しさ、難しさも知っているからこそ、たった4年で全国出場を成し遂げることに繋がっている。
その全ての経験がこの書籍にまとめられている。サッカー・スポーツ関係者だけではなく、企業や組織のリーダー、指導者として現代社会に影響を与えていく人の必読書になる。

目次

はじめに

第一章 「トヨタ自動車工業サッカー部」「名古屋グランパスエイト」時代
—プロの世界へ
—プロの壁
—生き残るための施策、そしてグランパス戦力外通告
—挫折を乗り越える力

第ニ章 「ヴィッセル神戸」への移籍。そして現役引退
—阪神・淡路大震災
—スチュワート・バクスターの指導
—2年目のけが、そして言い渡された戦力外通告
—スター選手から感じたこと
—引退

第三章 幼少~大阪体育大学時代
—サッカーとの出会い
—日比野中学時代から繋がるもの
—中京高校時代の成長
—大阪体育大学、坂本先生の指導

第四章 指導者としての道 「グランパス」~「ヴァンフォーレ甲府」
—グランパスユースのコーチとして
—グランパスコーチ時代の3年目
—「ヴァンフォーレ甲府」でのコーチ就任
—起爆剤
—恩師に導かれた道

第五章 東海学園の監督として
—東海学園サッカー部創部、ゼロスタート
—厳しさの果てに生まれたもの
—全国で戦える力
—サッカーをやることの意味
—選手たちとどう向き合っていくか
—今、この状況下でできること

第六章 指導者として伝えたいこと
—プロになることがすべてじゃない
—「見守る」ということ
—これからの選手たちに伝えたいこと
—「感謝」という言葉
—私にとってサッカーとは

第七章 鶴田道弘からの感謝状

おわりに

出版キャンペーン
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何事にも臨機応変に対応できるための「発想能力」が必須な理由
客観的に自分を見て分析する重要性
ゼロからチームを作るときに必要な考え方とは?
現代の選手たちに身につけてほしい力


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著者紹介




鶴田道弘

生年月日 1968.1.4
出身 愛知県
≪経歴≫
( 選手歴)
中京高校 (1983-1986 年)
大阪体育大学 (1986-1990 年)
トヨタ自動車(1990-1992 年)
名古屋グランパスエイト (1992-1994 年)
ヴィッセル神戸 (1995-1996 年)
ヴァンフォーレ甲府 (2000 年) 
フィジカルコーチから現役復帰

( 試合・大会)
リーグ、カップ戦、天皇杯含む
J1 37 試合
J2 4 試合出場
JFL 28 試合出場
JSL 23 試合出場
総通算92 試合出場

( 指導者歴) 名古屋グランパスエイト:
U-18 コーチ(1997-1998 年)
名古屋グランパスエイト:
スクールコーチ (1998-1999 年)
ヴァンフォーレ甲府:
フィジカルコーチ (2000 年)