無名の存在から日本代表へ

高校時代までは無名のサッカー選手だった小村徳男氏。学業推薦で入学した順天堂大学で頭角を現し、数々のタイトルを獲得。複数のクラブからオファーがあった中で、横浜マリノスに加入した。大学時代にバルセロナ五輪(1992年)代表に選ばれ、1995年にはA代表のメンバーに招集。1998年のフランスW杯アジア1次予選ではゴールを決めるなど、レギュラーとして活躍した。「ずっと下から這い上がってきた人間」と自称する小村氏を支えたのは「上を目指したい」という強い気持ち。「しっかりと自分を保っていなければならない」と自らを律する姿勢に裏打ちされた負けず嫌いとポジティブ思考は、多くの人が学ぶべきではないだろうか。

フランスW杯を戦い抜く

日本代表が史上初めて勝ち取ったW杯の切符は、今なお語り継がれる激闘の賜物だった。膝を骨折した中で熾烈なレギュラー争いにさらされた日々。自身の葛藤のみならず、スターぞろいのチームメイトたちの闘いの舞台裏も明かされる。現在の日本サッカーの礎となったフランスW杯の日本代表メンバーとして「プレーする側」から「伝える側」となった現在。世界の壁を知る小村氏が紡ぐ言葉には、単なる事実を超えた重みがある。プロとして必要だと説く「自己主張の重要性」も、さまざまな世界で生きる社会人にも通じる理念。サッカーを通じて培った深い人生哲学に触れることのできる1冊だ。

夢を追い続ける

競争と挑戦の世界に生き、39歳まで17年間にわたり現役生活を続けた小村氏。プレーヤーとしての人生にピリオドを打った後も、解説者やスクールの指導者としてサッカーの現場に関わり続けている。サッカーへの想いは現役時代と変わらない中、子どもたちに意識して伝えているのは「ミスした後にどうするべきか自分で考えよう」「負けん気の重要性」。自身の貴重な経験を生かすのはもちろん、新たな知識も吸収しながら「良い指導者となって選手を育てていく」という夢を追い続けている。

目次

第1章 ルーツ(幼少時代~高校時代)

ー小学3年でラインサッカーとの衝撃的な出合い
ー大工の棟梁の父親とそれを支える母親の存在
ー中学校でサッカー部に入部
ー高校進学、文武両道でハードな毎日
ー走れなかった原因が判明「鉄欠乏性貧血」
ーDFにコンバートされチームの中心選手に
ーとにかく負けることが大嫌い
ー高校2年はディフェンスの中心選手に
ー高校3年では実業団よりも大学進学を選ぶ

第2章 順天堂大学時代

ー順天堂大学を選んだ理由
ー大学で感じた最先端のプレー
ーAチームに入るも怪我で試合に出られず
ー運が向いてきた大学3年
ー良好だった大学の上下関係
ーお世話になった2人の恩人
ー五輪代表になって変わったこと

第3章 Jリーグ開幕!プロの世界へ

ー多くのオファーの中から日産を選んだ理由
ー横浜マリノス1年目の出来事
ーチャンスが巡ってきたナビスコカップ
ーヴェルディ川崎との開幕戦に出場できなかった理由
ーJリーグで出会ったスター選手たち

プロの世界で影響を受けた人たち

ーサパタ、ディアス・・・アルゼンチン選手の影響
ーソラリ監督の下で学んだ攻撃的な守備
ー語学を学んだことによるスペインでの経験
ープレースタイルを変えるきっかけとなったアルディレス監督との出会い

第5章 フランスW杯アジア予選の激闘

ーこぼれ球を押し込んだオマーン戦での決勝ゴール
ードーハから変化した日本代表の環境
ー膝の骨折で日本代表を離脱
ー最終予選での復帰
ー熾烈なレギュラー争い

第6章 フランスW杯の舞台裏

ー最終メンバーでカズさんが外れた衝撃
ーグループリーグを戦った想い
ー自己主張の重要性
ー熱狂のW杯が終わって
ー膝を手術するか葛藤した日々

第7章 W杯後の現役生活と引退まで

ーベガルタ仙台で感じた人の温かさ
ー初めての戦力外通告
ーサンフレッチェ広島で新たな才能と出会う
ー横浜FCの一体感
ーガイナーレ鳥取での日々
ー引退の理由
ー指導者として伝えたいこと

おわりに

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サッカーとの出会い
とにかく負けるのが嫌
アルデイレス監督のとの出会い
カズさんが本戦メンバーから外れた時


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著者紹介



小村徳男(おむら のりお)

【選手歴】
1992-2001 横浜マリノス/横浜F・マリノス
2002-2003 ベガルタ仙台
2004-2006 サンフレッチェ広島
2006-2007 横浜FC
2008 ガイナーレ鳥取

【代表歴】
1995-2002 日本代表

【監督歴】
2013 ガイナーレ鳥取