高校時代までサッカーに打ち込んだ村松氏。柔道整復師として就職した静岡県浜松市の整形外科医院で出会ったのが、本田技研工業サッカー部のトレーナーという仕事だった。試行錯誤でテーピングの技術をものにし、選手の信頼を勝ち取っていった中で学んだこととは?世界の一流選手たちとの出会いも交え、プロのトレーナーとして成長していった成岡氏の歩みを、自身が書き残してきた記録と共にたどる。
名将・樋口士郎監督の誘いを受け、全国にその名を知られた高校サッカーの強豪・四日市中央工業高校のトレーナーとして迎えられたのは1997年のこと。以来、25年間にわたりチームを支え続け、子どもたちの人間性も育成する指導者としてのスキルを磨いている。類まれなマネジメント力を裏付ける理論とは何か?変わりゆく時代の中で培った珠玉のアイデンティティーは、ビジネスの世界にも活かせるはずだ。
日本代表の浅野拓磨選手をはじめ、数々の選手と向き合ってきた25年間。「サッカー選手にとって必要なものは何か?」という問いに対する答えは、誰の人生にも欠かせないものと言えるかもしれない。「日本一の育成年代トレーナー」を自負する著者が、明日のサッカー界を担う若き選手、トレーナーに贈るメッセージは必読。
第1章 トレーナーの道へ
もともとは「サッカー小僧」だった
テーピングを極める
地道に勝ち取った選手たちの信頼
第2章 PJMフューチャーズの日々
選手バブルが過熱した時代
世界の一流選手が続々と加入
トレーナーとして成長
「学ぶ」ことの強さ
第3章 四日市中央工業高校に
大いなる勘違い
「むらまっちゃん、頼むよ」
(コラム)①道縁
育成年代との接し方
(コラム)②スタッフのちから
(コラム)③啐啄同時
好き嫌いさえ克服できない選手は伸びない
(コラム)④スミマセン・・・これからは気をつけます
サッカーが得意なのは当たり前
(コラム)⑤真面目にサッカーをやりなさい
(資料)成長する選手、成長しにくい選手の条件
第4章 トレーナー力は「マネジメント力」
トップチームに入れなければだめということではない
(コラム)⑥チャンスは平等にある
高校時代はBチームだった谷口海斗選手
「日本一の育成年代トレーナー」を自負
サッカー指導者も輩出している「伝統力」
(コラム)⑦結ぶ
トレーナーの腕の見せどころとは?
(コラム)⑧努力の上限
四日市中央工業高校サッカー部の強固な理念
第5章 プロの世界に羽ばたいた選手たち
浅野拓磨選手(ドイツ・VfLボーフム)
坂圭祐選手(大分トリニータ)
誇りと伝統を刷り込む
選手たちをリラックスさせるのもトレーナーの仕事
届かなかった全国優勝
第6章 サッカー選手に求められるもの
自分を客観的に見つめ、学ぶことが大事
(コラム)⑨ダメだった君のプレー
良いトレーナーになるためには?
人間性を磨くことも重要
第7章 明日の日本サッカー界を担う、若き選手とトレーナーへ
サッカーをツールとして世界に羽ばたけ!
(コラム)⑩RESPECT(リスペクト)
大都市と地方、私立と公立
(コラム)⑪選手権に出場したい
第8章 最後に言っておきたいこと
とにかく現場へ
家族に伝えたい「ありがとう」
村松正英(むらまつ まさひで)
【指導歴】
1982年 JSL本田技研工業サッカー部トレーナー
1987年 PJMフューチャーズ トレーナー
1993年~1996年 JFL鳥栖フューチャーズ チーフトレーナー
1997年~2004年 静岡県立浜名高校サッカー部トレーナー
1997年~ 三重県立四日市中央工業高校サッカー部トレーナー&コンディショニングマネージャー
1997年~ 三重県国体少年選抜チームチーフトレーナー
1999年~ 静岡県西部高校選抜U-16欧州遠征帯同トレーナー
2002年~2006年 Jリーグアカデミー ジュビロ磐田育成センター アスレティックトレーナー
2003年 日本高校選抜チーム アスレティックトレーナー