サッカーに恋をした「天才」

 サッカーの「天才」、そしてエースストライカーとしてその名をとどろかせた礒貝洋光氏。リフティングはサッカーを初めて3日目で100回以上を記録。その後サッカーの強豪、帝京高校に入学し1年目で10番を背負い、FIFAワールドユースアジア予選ではU-20日本代表として出場した。自身に自覚はなかったものの、少年時代から特別な評価を受けるほどの才能を持ち合わせていた礒貝氏。サッカーのエリートとしてプレーをしてきた才能の原点、「天才・礒貝洋光」とは何だったのか。そして、29歳という年齢で引退を決意した理由とは一体。この一冊に、礒貝氏がサッカーと出会って得たものが綴られている。

サッカーにおける「天才」

 何においても「天才」と呼ばれる領域の者がいる。サッカーという分野ならば礒貝氏を含め、日本の宝と称される小野伸二選手や、日本代表としてプレーした中村俊輔選手。まさにいまスペインでプレーし、注目されている久保建英選手らを指すことができるだろう。礒貝氏は「サッカーにおける『天才』」とは誰にも予測できないことをすることを指すのではないと語る。明確な答えを出すことが難しいが、サッカーという領域、プレーの面で言えば「無意識」にできることを指すという。周りから見える「天才的」と呼ばれるプレーは教えられてできるものでもないが、最初からできるものでもない。世界基準のプレーができる彼らが持つものとは一体何か。礒貝氏の目線、礒貝氏の言葉で記されている。

第二の人生でサッカーに恩返しを

 少年時代でサッカーに恋をして、両想いになった。でも、最後は振られてしまった。そう語る彼は今、生活の軸は決めずに好きなことをし、自由に生きているという。その中には、サッカー少年たちの指導する一面も。「天才」と呼ばれた少年時代から長きにわたりサッカーに携ってきた礒貝氏。サッカーのエリートとしてプレーをしてきた彼は、第二の人生野中でサッカーへの恩返をしている。かつての「天才」が今どのようにサッカーと関わっているのか。どんな人生を歩んでいるのか、どんな選択をしてきたのかが記されている。何かに夢中になっているスポーツ関係者や選手、ビジネスや教育に従事する方々にも是非一読頂きたい。

目次

はじめに

第一章 日本サッカー史に残る天才の生い立ち

ーリフティングは3日目に100回以上できた
ー自然豊かな環境で育まれた天才の原点
ー一番やりたいポジションはボランチだった
ー「天才少年」として全国にその名が知れ渡る

第ニ章 日の丸を背負って世界を目指した中学時代

ー2つの強豪中学校で過ごした中学時代
ー中学3年生でジュニアユース日本代表入り
ーアジアの洗礼と背負った日の丸の重み
ー九州出身の同級生、本田泰人との出会い
ー小学校6年時に帝京高から誘われていた

第三章 遠くを見過ぎていた帝京高校時代

ー名門・帝京で感じていた周囲とのギャップ
ー帝京高校サッカー部にあった暗黙のルール
ードリブラーからパサーへと変わった理由
ー高校選手権、最後のPK失敗は故意だった!?
ー帝京だからこそ技術が磨かれた3年間


第四章 スペイン留学と日本代表デビュー

ー澤登らと東海大学の黄金時代を築く
ースペイン時間に合わせた早朝の自主トレーニング
ークライフのサッカーに刺激を受けたスペイン留学
ー大学時代に選出された日本代表に失望
ーJリーグ全クラブからオファー、大学を中退してガンバへ

第五章 29歳で引退を決意した天才と呼ばれた選手

ーガンバはサッカー人生初の「弱いチーム」だった
ー感じ取りやすい性格がサッカーに向いていた
ーサッカーにおける「天才」とは何か
ー日本のW杯初出場を見て引退を決意

第六章 自由人として生きえる第2の人生

ーサッカーを引退後はプロゴルファーに転身
ーそろそろサッカーに恩返しを
ー自分なりのサッカーとの関わり方

おわりに

出版キャンペーン
購入者全員に特典プレゼント


天才と呼ばれた男の持っていた才能とサッカーの相性
サッカーがあったからこそ出会えたかつての仲間
厳しい環境で生き残り続けるための考え方
天才が追いかけていた世界のサッカーの魅力
サッカーの才能以上に、彼を育てたサッカーへの情熱


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著者紹介



礒貝洋光(いそがい ひろみつ)

ユース経歴
1982 年 - 1984 年 小川町立小川中学校 (中学1年生~中学2年生1学期まで)
1984 年 - 1985 年 竜北町立竜北中学校 (中学2年生2学期~中学3年生卒業まで)
1985 年 - 1987 年 帝京高等学校
1988 年 - 1991 年 東海大学

プロ経歴
1992年 - 1996年 ガンバ大阪
1997年 - 1998年7月 浦和レッドダイヤモンズ